【引退記念インタビュー後編】富山貴光「RB大宮アルディージャがもっと発展していけるように」

今回は、昨年末に現役引退を発表し、今季からアカデミースカウトに就任した富山貴光のロングインタビューをお届けする。数々のドラマとともにあったプロ13年間。オフィシャルライターの戸塚啓さんが、丁寧にその足跡を振り返ります。後編の今回は、3度目の復帰となった大宮、そして今後への展望やメッセージをお届けします。


やり切った。これから何が起こっても大丈夫

3度目の大宮復帰となった2022年は、前年を上回る8ゴールを記録した。チームトップの数字は、J2残留を後押しした。


【キャリアハイとなるシーズン8得点を記録した2022シーズン】

翌2023年は5得点を記録した。先発より途中出場が多い中での数字は評価できるものだが、チームは21位に沈んでしまう。ついに、J3へ降格してしまった。

「僕自身は30歳を過ぎて、日々の練習からすべて出し切ることを前提に、その基準を上げていく段階に入っていきました。当たり前のことを当たり前にやるじゃないですけど、ハードワークすることなどが足りていなかったので、その基準を上げないと年齢的にも落ちていくだけになってしまう、という危機感がありました」

ベテランと呼ばれる年齢に差し掛かった2024年に、富山は僥倖に恵まれる。長澤徹との出会いである。2015年のオフにその熱意に触れていたから、再会と言っていいのかもしれなかった。

「まさかこのタイミングで徹さんのもとでプレーすることになるとは、という。運命的な再会でした。現代サッカーで求められるベーシックな部分を徹底してくれて、その基準が上がったからこそ1年でJ2に戻ることができた。基準を上げることを促す選手を、徹さんは呼んでくれました。ディフェンスなら(濱田)水輝、(下口)稚葉、中盤なら(和田)拓也がいてくれたので、僕は前線の選手を鼓舞しながら基準を上げていけばいいかな、と」


【出場機会は限られても、ピッチで見られる全力プレーは変わらなかった】

現役ラストシーズンとなった2025年は、J2リーグ戦11試合でメンバー入りし、7試合に出場した。プレータイムは37分に限られたが、全力プレーが印象深い。

「長いシーズンでは気持ちの浮き沈みがあるものです。気持ちが落ちることがあるのも良く分かりますが、その中でも日々最大限のパワーを注ぐ大切さは、13年の現役生活を通して学んだことです。ホントに何が起こるか分からないし、誰がどこ見てくれているか分からない。それでも、やりきる。その日の自分のベストを出しきることを、ずっと大事にしてきました。それはもう、才能のあるなしに関わらず誰でもできることで、簡単ではないけれどやったほうがいいことだと思います」

その結果が、13年のキャリアである。J1、J2、J3とすべてのカテゴリーでプレーし、286試合出場38ゴールの数字を残した。

「最後の2、3年はもう、いつ終わってもいいようにやれるところまでというか、求められるところでベストを尽くそうと思いながらやっていました。個人的にはやり切った、という感じです」

やり切ったと言えるから、セカンドキャリアに迷いはない。

「シーズン前のキャンプとかって、すごく走るじゃないですか。1シーズン戦える体作りのため、というのは分かっているんですけど、僕は走るのが好きじゃなかった。なんでこんなに走っているんだろう、これ以上キツいことはないよな、なんて思ったものです。一般社会にもキツいことはたくさんあるでしょうが、あれ以上キツいことはない。だからもう何が起こっても大丈夫という気持ちで、今後の人生を生きていけると思っています」

負けて悔しかった試合のほうが多い

プロキャリアのすべてに寄り添ってくれた妻には、「大宮との契約が満了になったら引退する」と伝えていた。「だから、実際に引退すると言っても、そこまで驚きはなかったのでは」と言う。

子どもたちの反応は、妻とは少しばかり違った。父親がJリーガーと自覚していて、自分たちもボールを蹴っているふたりの男の子は、「まだできるでしょう」と言った。

「子どもたちがそうやって応援してくれるからここまでやってこられた、というのは当然あります。僕自身の思いだけだったら、もっと前に引退しています。応援してくれる人のためにやってきたという部分が大きくて、家族や両親はもちろんですが、ファン・サポーター、スポンサー企業のみなさんの支えに応えたいという気持ちが、大きな原動力になっていました。自分の気持ちだけで続けていたら、あんなにキツい練習を乗り越えられなかった。それはもう、間違いないです」

スパイクを脱ぐと決めた選手には、ストライカーだった選手は、聞いておかなければならない質問がある。

記憶に刻まれたゴールは?

富山はすぐに答えた。迷いはなかった。

「それはもう、プロ1年目の広島戦ですかね。僕自身はGKと激突した瞬間から記憶が飛んでいるので、印象に残っているという言い方は当てはまらないかもしれません。でも、富山という選手と言えばあの試合を思い浮かべる方は多いと思いますので、やっぱりこれかなと」

印象に残っている試合は?「苦しいシーズンが多かったですからね」と富山は言った。「勝ってうれしかった試合よりも、負けて悔しかった試合のほうが多いかなあ」と言って、少し遠くを見る。記憶を整理して答えた。

「悔しい試合はいっぱいあるんですけど、J1からJ2に降格した2014年は頭が真っ白になったというか、茫然自失というか、悔しさと申し訳なさが込み上げてきました。2018年のNACK5スタジアム大宮でのJ1昇格プレーオフも。昨季のプレーオフは、ピッチに立ってなかった悔しさを感じました。ホントに信頼を得ていればピッチに立てたはずで、それは監督どうこうではなく信頼を勝ち得なかった自分の責任です。J1へ戻すことができなかった悔しさはあるんですが、やりきったという気持ちも強かったです」

チーム全体の成長を促すのも仕事

2026年2月末に、アカデミースカウト就任が発表された。

「役職としては小学生から高校生までの選手を見ていくのですが、メインターゲットは中学生です。昨日は静岡県まで試合を観に行きましたし、その前は福島県と宮城市へ行って、今週末は大阪と、中学生の大会を追いかけてあちらこちらへ行っています。これはと思う選手がいたら練習参加を打診したり、ホントの逸材なら即オファーをしたり」


【現在はアカデミースカウトとして、全国を巡る忙しい日々を送っている】

アカデミースタッフに名を連ね、次代を担うタレントの発掘に奔走している。レッドブルサッカーのスカウト基準については「あまり言えません」と笑顔で頭を下げるものの、彼なりの視線を言葉にしてくれた。

「プロになるような選手を見てきた中で、自分なりに感じるものがあります。こういう選手は将来的にこうなるのでは、という想像を働かせることが大事なのですが、中学生年代はまだ身長が伸びていない選手もいる。どれぐらい大きくなるのか、という見極めは難しいですね。僕も中3から身長が伸びたので」

スカウトの仕事は5年後、10年後のチームを背負うタレントの発掘と言っていい。富山が「これは」と思う選手がいても、同じポジションに有望な選手がいればバランスを優先して獲得を見送る、ということもあるのだろう。クラブの未来を担う仕事は、複合的な視点を持たなければならない。

「いまどんな選手がいるのかを知っておかないといけないので、一緒に練習をしたりしています。つい最近もU18の紅白戦に混ぜてもらいました。同じピッチに立つと、見えてくるものか違います。外から見ているのと、中に入って一緒にプレーするのでは、やっぱりちょっと違うんですよね。そういう細かいところまで把握して、アカデミーからトップへ昇格できるような選手をスカウトして、チーム内にいい競争が生まれるようにしたいですね」

最後のフレーズには、育成年代へのエールでもある。

「有望な選手が練習参加してきたら、すでに所属している選手はあまりいい気持ちがしないと思うんです。『コイツに負けたくない』っていうライバル心とか、『自分の力を認めさせてやる』という反骨心が芽生えるはず。それもまた、成長するためのいいきっかけになる。いい選手を連れてくるだけじゃなくて、チーム全体の成長を促す。それもまた、僕の仕事なんじゃないかなと思っています」

自身のキャリアを辿ると、「出会い」の重要性を再認識する。プロになるためには選手としての自分磨きが大前提になるが、向かい風にさらされることもある。進むべき道を見失ってしまうことも、あるかもしれない。

「アカデミーは上のカテゴリへ上がれない選手もいるわけですから、その選手の進路を考えるのも自分の仕事だろうと思っています。僕がスカウトしてU18でプレーしてもらったけれど、トップに上がれないという選手が出てきたら、一緒に話し合って進路を決めていくとか。プロになれる選手よりもなれない選手のほうが多いわけですから、一人ひとりの人生に対して責任を持たないといけない」

ピッチに立っていた当時と変わらない熱量で、富山は新しい仕事に取り組んでいる。未来ある選手たちを支えて、叱咤していく。

「RB大宮アルディージャになって、10代の選手たちが海外で行く機会が増えています。成長できるチャンスは広がっているんだから、選手たちを優しく見守る部分と厳しく接する部分を持っていたいですね。成長の手助けとかサポートをすることは、ものすごくやりがいがあります。楽しいですね」

サッカーへの情熱とクラブへの忠誠心


【2月21日、NACK5スタジアム大宮で引退の挨拶を行った】

明治安田J2J3百年構想リーグ第3節・福島ユナイテッドFC戦の試合前に、富山は濱田水輝とともに引退の挨拶をした。NACK5スタジアム大宮には富山のチャントが響き、たくさんの拍手と声援を受けた。

「あのチャントを聞くと奮い立って、ゴールを取れるなっていう気持ちになるんです。現役の最後のほうは、自分がゴールしたというよりも、ファン・サポーターの人が僕にゴールをプレゼントしてくれる感覚がありました。ここまで愛してくれるファン・サポーターはいないと思うんです。感謝しかないですね」

2013年のプロキャリアのうち10年を大宮で過ごした。他のクラブで過ごした3年がまた、このチームのファン・サポーターの温かさを教えてくれた。

「大宮で合計10年にわたって応援していただいて、試合なので勝ったり負けたりがあるなかで、いつも変わらずに応援してくれていたファン・サポーターのみなさんのおかげで、僕は立ち止まることなく突っ走ることができました」

クラブのフロントやチームメート、歴代の監督やコーチングスタッフにも感謝の気持ちを捧げたい。数え切れないほどの出会いが、「自分を成長させてくれました」と言う。

「このクラブでホントにいろいろな経験をさせてもらって、サッカー選手としても、人間としても、成長させてもらいました。サッカーを通して礼儀や挨拶、人を気遣うこと、思いやりを持って接すること……人間として何を大切にしなければいけないのかも含めて、ホントにたくさんのことを学ばせてもらった。そのおかげでここまでサッカーをやってこられたと思います」

現役選手だった当時は、感謝の気持ちをプレーで示した。

アカデミースカウトとなった現在は──。

「ファン・サポーターのみなさんが、このチームをもっと好きになるような選手を発掘して、成長をサポートして、RB大宮アルディージャがもっともっと発展していけるように。それが、これからの僕の仕事です」

ユニフォームではなくスーツを着ることが増えても、サッカーへの情熱とクラブへの忠誠心が、富山を衝き動かしている。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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